『残るは食欲』阿川佐和子著

  もしも体調、それも胃腸の具合が悪くて食欲が無い時でも、これを読めばなにがしか口に入れたいと思えるだろう。食いしん坊を自認する著者の、主に「お一人様」で食を楽しみ尽くす日々が軽妙なダッチで綴られている。

 

 自分自身の感情の認知に疎くなっている身としては、一人で料理をしつつ「私は天才かっ!」と自分を褒めたり、野菜に話しかけたりする著者の姿、深酒の翌朝の描写等、読みながらフッと笑いが出てしまう。特に、その味で著者を感動させた突き出しが、メイン料理の登場によってテーブルの隅に追いやられ、「これでいいのよ、これで。だって私の役割はじゅうぶんに果たしたのですもの」とつぶやかせるくだりは、脱帽である。突き出しの一品にこのような哀愁を帯びさせるなど、何を書いても軽妙洒脱にはほど遠く、堅物な文で面白みに欠ける私としては、羨ましい限りである。次に外食をして小鉢に盛られた突き出しを見たら、最初の酒と(多分ビール)共にメインが運ばれる前に美味しく頂こうと心に誓った。

 

 このように著者は人にも料理にも素材にも心を寄せて読者を惹きつけるのだが、その根底には著者の持つ素直な心とあくなき好奇心があると思う。おススメに従ってとんかつを塩で食し、ほやの瓶詰めを作り、テンメンジャンを麦味噌で拵える。時には口に合わないと感じたこともあったのではと思うが、とにかく彼女はトライする。食に関しては行動あるのみなのである。私自身も美味しいものを食べるのは大好きではあるが、彼女ほどの柔軟な冒険心を持ち合わせているかと問われれば、否である。事実、ほやは何度も食べる機会があったが、未経験である。しかし、次の機会にはきっと食べると思っている。

 なぜなら、追体験をすることで、本作から醸し出される「幸せ」を感じてみたいから。