『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』川上和夫著

この本を読もうとする人にいくつかアドバイスを送りたい。

まず、一度で読了とせず、二回は読むこと。次に、昆虫が苦手な人は相応の覚悟を持って読むこと。覚悟を持って臨むと決めても、食事前には読まないことをお勧めしたい。最後に周囲に人が多いところでは読まないこと。突然吹き出して周囲から不審がられるかもしれない。

 著者は鳥類学の世界では著名な学者の一人である。それなのにタイトルからして『鳥が好きだと思うなよ。』と読者を煽る。私はとりたてて鳥に興味があるわけではなかったが、このタイトルに興味をそそられて本書を購入した。表紙と書名で、まんまと著者の術中に落ちたのである。中には小笠原を中心とした著者のフィールドワークの記録や、鳥たちの思いもよらない生態が詰め込まれている。しかし、そのような学術的に興味深い内容を頭に入れる前に、著者の独特なレトリックに絡めとられる危険性が高い。

 例えば、一般にも良く知られているウグイスが正式には「亜種」であることが語られる章の出だしで、『ウグイスは、日本人のソウルバードである。北海道から花札まで広く分布し、(中略)法華経を知らない幼子でも、その声を聞けば春の訪れを知り、花粉症を思い出してくしゃみする。』と書かれている。この程度はまだまだ序の口で、ありとあらゆる箇所でアニメやら、おやじギャグやら、某菓子メーカーのキャラクターやらが、続々と登場する。年代的にも分かりすぎるので、つい楽しくなってしまい、鳥類に関しての記述を飛ばして、そこだけつまみ読みしてしまいそうになる。本筋の鳥や著者のフィールドでの活躍を記憶に留めるには、やはり二度読みを推奨したい。一度目は電車の中など、周囲に人がいる時は、顔がにやけたり、吹き出したりしないように注意が必要と思う。

 本書の中で私にはどうしても一旦本を閉じてしまうくだりがある。小笠原諸島での夜間観察時に耳に13ミリの蛾が飛び込んだ箇所である。もう一つは南硫黄島でこれまた夜間観察時にライトに無数のハエが集まって、口や鼻に飛び込んでくる部分である。虫が苦手、いや虫がとてつもなく怖い私にとっては、目の前にカミキリムシの腹を出されたトラウマとなった光景を頭の片隅で反芻しながら、ちょっと吐き気すら催しながら読まねばならなかった。

正直に言うと、二度目は飛ばして読んだ。たとえ文字であっても、頭の中でギチギチいう蛾や肺にも入り込むハエの記述は一回で十分で、二度は御免被りたい。

 これまで学者という研究を生業にしている人たちは、医学や工学などの経済活動に直結しそうな分野では、早い者勝ち、論文書いたもの勝ちを念頭に日々の研究にいそしんでいると思っていた。それでいくと鳥類学者はその辺のスピード感とは縁遠いのかなと勝手に思い込んでいた。しかし、本書の中では著者は何度も最初の一歩、最初の発見にこだわり、かなりの確率でその勝負に負けて悔しがっているのである。国内ではもうないと思われた新種発見のチャンスを発表準備を後回しにして失い、噴火後の西ノ島への上陸もバディに泳ぎ負けて後塵を拝することになる。世俗的功名心と書かれているが、果たして世俗的ではない功名心があるかどうかは別として、私にはほとんどの学者=象牙の塔の住人との認識を明るく、潔く、人間臭く覆してくれた。

 もう一度この本を読むときには、鳥類図鑑をお供に鳥にフォーカスしながら読もうと思う。その情報を届けるために南の島で奮闘する著者を思いながら。

 

『残るは食欲』阿川佐和子著

  もしも体調、それも胃腸の具合が悪くて食欲が無い時でも、これを読めばなにがしか口に入れたいと思えるだろう。食いしん坊を自認する著者の、主に「お一人様」で食を楽しみ尽くす日々が軽妙なダッチで綴られている。

 

 自分自身の感情の認知に疎くなっている身としては、一人で料理をしつつ「私は天才かっ!」と自分を褒めたり、野菜に話しかけたりする著者の姿、深酒の翌朝の描写等、読みながらフッと笑いが出てしまう。特に、その味で著者を感動させた突き出しが、メイン料理の登場によってテーブルの隅に追いやられ、「これでいいのよ、これで。だって私の役割はじゅうぶんに果たしたのですもの」とつぶやかせるくだりは、脱帽である。突き出しの一品にこのような哀愁を帯びさせるなど、何を書いても軽妙洒脱にはほど遠く、堅物な文で面白みに欠ける私としては、羨ましい限りである。次に外食をして小鉢に盛られた突き出しを見たら、最初の酒と(多分ビール)共にメインが運ばれる前に美味しく頂こうと心に誓った。

 

 このように著者は人にも料理にも素材にも心を寄せて読者を惹きつけるのだが、その根底には著者の持つ素直な心とあくなき好奇心があると思う。おススメに従ってとんかつを塩で食し、ほやの瓶詰めを作り、テンメンジャンを麦味噌で拵える。時には口に合わないと感じたこともあったのではと思うが、とにかく彼女はトライする。食に関しては行動あるのみなのである。私自身も美味しいものを食べるのは大好きではあるが、彼女ほどの柔軟な冒険心を持ち合わせているかと問われれば、否である。事実、ほやは何度も食べる機会があったが、未経験である。しかし、次の機会にはきっと食べると思っている。

 なぜなら、追体験をすることで、本作から醸し出される「幸せ」を感じてみたいから。